21世紀のドアーズ

2002年には、マンザレクとクリーガーが「21世紀のドアーズ The Doors 21st Century」として活動を始めました。

モリスンの代わりのヴォーカリストとして、イギリスのバンド、カルトのイアン・アシュベリーを加え、ベーシストにはクリーガーのバンドでベースを担当したアンジェロ・バルベラが参加しました。

彼らの最初のコンサートでは、ドラマーのデンスモアが参加しないと発表されました。その理由は、後にデンスモアは耳鳴りに苦しんでいて演奏することができなかったためだとされています。

その時デンスモアの代わりに元ポリスのスチュワート・コープランドが加わりました。
コープランドは数回のステージの後にバンドを離れ、クリーガーのバンドのドラマー、タイ・デニスが後任となります。

この時期のライブはDVDとして発売されており、イアン・アシュベリーが歌う「21世紀のドアーズ The Doors 21st Century」は、賛否両論ありました・・・。

映画『ドアーズ』

1991年には、オリバー・ストーン監督によって映画化されました。タイトルはそのまま、『ドアーズ』(原題:The Doors)。

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この映画では、モリスンを演じたヴァル・キルマーの演技が評判となりましたね。

でもこの映画は事実と異なる描写が多かったようです。

またメンバーは、ストーンがモリスン像を「自制の効かない精神病患者」のように描いたことに対し不快感を表しました。

バンド解散

ドアーズの残りのメンバーは活動を続けます。

新しいヴォーカリストの採用も考えましたが、結局クリーガーとマンザレクがヴォーカルを担当して

『アザー・ヴォイセズ』と『フル・サークル』、2枚のアルバムを発表します。


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(↑これは2007年に出たベストアルバム)

しかし、その2枚のアルバムは全く売れなかったそう・・・。

やはりモリスン抜きではドアーズではない、と証明する形になってしましました。

そして『フル・サークル』発表後、バンドはついに解散してしまいます。

うわさ

モリスンはスポットライトから逃れるために死を偽装したという噂が長い間流れました・・・。
そう思いたくなりますよね・・。

それと、実際にはパリのナイトクラブで死亡し、遺体がアパートに運び込まれたという噂も流れたそうで・・。
でも、モリスンの関係者であったダニー・シュガーマンの著書『Wonderland Avenue』によると、カースンがモリスンに致死量のヘロインを注射したと、彼女自身がヘロインの過剰摂取で死ぬ直前にシュガーマンに話したそう。

もう、噂だらけで何が何だかよくわかりませんね^^;

モリスンの変死

『L.A.ウーマン』録音後の1971年にモリスンは静養することを決めて、ガールフレンドのパメラ・カースンと一緒にパリへ行くのです!

だが・・・・

モリスンは、1971年7月3日にパリのアパートでおかしな状態で亡くなった・・・。

モリスンはペール・ラシェーズ墓地に埋葬されたんだけれど、何と・・・・埋葬の前に検死がされていなかった事がその後明らかになったの・・。駄目じゃん・・。
モリスンの死は多分ヘロインの過剰摂取なのでは・・と考えられているみたいなんだけど。
どうなんだろう?

露出

1969年3月1日のフロリダ州マイアミでのコンサートで、モリスンはステージ上で性器を露出してしまったよ~。という事で逮捕です・・・。そりゃあ、そうだよね・・・。

モリスンは軽犯罪、重犯罪容疑で起訴されて、軽犯罪容疑での裁判はそのまま続いた。
判決前にね、モリスンは言ったのです。

「僕はマイアミ事件での裁判でおよそ一年半の多くの時間を浪費した。しかしそれは価値のある経験だったと思う。なぜなら裁判前僕はアメリカの司法制度に対して非常に非現実的な学生のような態度を取っていたからだ。僕の目は少し開いたよ。」だって。

かっこいい事言いますね~、なかなか言えないですよ。

反抗的

ドアーズのライブ・ステージは挑戦的で、反抗的だという評判を早くに得てしまします。
これはいいことなのかどうなのか・・。

1967年の『エド・サリヴァン・ショー』出演時、CBSの担当者は「ハートに火をつけて」の歌詞の一節、"Girl we couldn't get much higher" を、ドラッグを連想させるとして "Girl we couldn't get much better" と変えて歌うよう要求したそう。うーん、英語が分からないので何とも言えないのですが・・・。

でも、モリスンはオリジナルの歌詞をそのまま歌っちゃって^^;
生放送の番組でそのまま放送~~~。
エド・サリヴァンはすっごく怒って、握手を拒絶したんだよね。
その後は、ドアーズは番組に招かれることはなかったんです。

革パンツで

モリスンはそのルックスと、身体ラインを浮き立たせる革パンツでのステージ・パフォーマンスで当時のポップ界におけるセックスシンボルの一人となった。彼はいわゆる「ロックスター」であることに極めて自覚的であり、ステージでは革パンツで、セクシャルに立ち振る舞い、雑誌等のインタービューではメディアの飛びつきそうなキャッチーで過激な語句を使用するなど、マスメディアによるグループのイメージ構築を、意図的に、試験的に行っていた。しかし、人気が全米的なものになり、彼はスターとしての地位の中で次第にフラストレーションを感じるようになった。

センセーション

アルバムはセンセーションを引き起こし、第二弾シングル「ハートに火をつけて(Light My Fire)」は大きなヒットとなった。ビルボード(Billboard)誌では、1967年7月29日に週間ランキング第1位を獲得。1967年ビルボード誌年間ランキングでは第2位となった。バンドはジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドと並び1967年におけるアメリカのトップ・バンドの一つとなった。

ポール・A・ロスチャイルド

ウィスキー・ア・ゴーゴーで人気を集め始めたバンドに目をつけたプロデューサー、ポール・A・ロスチャイルドによってドアーズはエレクトラ・レコードと1966年に契約する。それはロスチャイルドおよびエンジニアのブルース・ボトニックとの長く成功したパートナーシップの始まりであった。10分にも及ぶ大作「ジ・エンド」を含むデビューアルバム『ザ・ドアーズ』は1967年1月にリリースされる。アルバムは数日間で収録され、ほとんどの曲は第一テイクが採用された。モリスンとマンザレクは第一弾シングル「ブレイク・オン・スルー」用のプロモーション・フィルムを監督し、それはミュージック・プロモーションの重要な布石となった。「ブレイク・オン・スルー」では曲中の She gets high, という歌詞がドラッグの影響を表す物として放送禁止になることを恐れたエレクトラが、high の部分を消してリリースし長らくその部分を聞くことができなかったが、後にリリースされたリマスター盤で聞くことができるようになった。